小学生に初めて土下座された日の話

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Umepyoiです。

朝です。(午前8時)

今朝目が覚めたら6時でした。昨日夜更かしが得意だとかなんだとか言ってた割に夜更かしが出来ない体になりつつあることを実感しています。昨晩は課題をしていて少し疲れたので、ベッドに寝転んでごろごろしてもう一回立ち上がるはずが...

朝の澄んだ空気を久しぶりに吸いました。朝って独特な匂いがあると思うんです。ひんやりしていて酸素が肺に染み渡るというか。知らんけど。寝起きは清々しいように感じやすいのと、早朝は空気が冷えているためだと思います。

もう家を出る準備が済んだ私は、塾講師をしていた時代をふと思い出しました。私が個別塾で講師をしたのは約2年半。思い出すたび、埃を被った小学生時代のアルバムを一枚、一枚、めくっていくようなノスタルジーを感じます。それだけ私が成長できた場所であり、それ以外にたくさんの生徒や講師との奇想天外な思い出が詰まっています。

その中の一つを紹介します。小学生に土下座された日のことです。

その前にまず私自身、通っていた小学校・中学校は全校生徒の数が日本で一番多いレベルでした。多い時は1つの学年で10クラス(1クラス40名)ありました。これだけ人が多いと目立つことが本当に難しいのです。中学の内申は3年間ほぼオール「3」でした、といえば伝わるだろうか... 。絵画で入賞しても「3」、持久走で学年トップ10に入っても体育「3」、音コンでピアノの伴奏までしてやっと「4」、当時の私には自己肯定感のカケラもなかったと思う。(今は生きてるだけで尊いと思ってる)

私が働いていた塾の生徒たちもこの学校に通う生徒でした。
やはり評価されづらいのは今も変わっていないようでした。ただ、人が多いのは利点でもあります。さまざまな考えを持った人を接することは自分の成長に繋がります。しかし、、、そんな環境で経験を詰みすぎて人生に飽きてしまった小学生が今回の主人公になります。

彼と私は国語を毎週勉強していました。私は国語が好きなので毎回気合を入れていました。といってもガチガチに教え込むことはありません。国語で意識してやっていたのは、学習内容と生徒自身との共通点を見つけ言及する、もしくは見つけさせることです。後から思い出しやすくするためです。

その日は、国語の小説を解いていました。その中で登場人物が謝るシーンがありました。「謝ると」いう行為には相手がいます。その相手に対して何かしらの過ちを謝罪するのです。そこで、「誰に対して何で謝ってるのか」をきちんと理解できているか確認したり、彼自身、「こんな風に謝った経験があるか」聞いたり、「実際どんな風に謝っていたと思うか」を聞いたりしました。

「どんな風に謝ってたと思う?」と聞くと、彼はすかさず立ち上がり私の前に移動し「ああああああああああ!!!!!(?)すみませんでしたあああああ!!!!」と額を床に付けて土下座をしました。これが恐らく私の人生で最初で最後の土下座です。

土下座された時いろんな感情が交差しました。小説の登場人物はそこまで謝ってないよ、まあ小学校で目立ちにくい環境ならこれくらいしたくなるよね、へぇ〜土下座で謝られるのって清々しいんだな、でもここ塾だからやめて。


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塾の中では私が変に育て上げたと言われていた彼も、今では中学校で評議委員長をしているとらしいです。あんな急に土下座する子がみんなをまとめる評議委員長だと思うと、ワクワクする。